葛城探偵事務所の前に、それはいた。

 くぇぇぇ〜

 と、それは実に退屈そうに泣き声を上げる。
 前半分は白、後ろ半分は黒。その小さな羽根の先には小さいながら立派な爪が生えており、彼はそれを使い器用にも自分の自慢の鶏冠をポリポリとかいた。
 何故か背中に小さな機械の塊を背負ったそれは、ペンギンである。
 非常識なことに、そのペンギンは炎天下の第三新東京市でどうどうと昼寝をしていた。いくらポプラの木の陰にあるベンチの上だからと言っても、彼は北極とかに住んでいる種類の生物である。暑くはないのだろうか?

[くる日もくる日もお客さんは無し、依頼人も無し、したがってぼくの餌もない]

 そう、彼は暑さ云々以前に飢えによって起き上がる気力が出せないだけなのであった。もっとも、生物学的には彼はペンギンとはいえない存在であるのだが。
 ちなみに、このペンギンの座るベンチの周りは、
何故か 罅割れたタイルばかりが並んでいる。いや、よくみるとベンチの正面にある道路から歩道を越えた部分のほとんどが、ひどくぼろぼろなのである。その原因は葛城探偵事務所の立地状態を見れば一目瞭然であった。

 葛城探偵事務所は、それ自体「だけ」が道路からはみ出して建築されているのだ。

 ちなみに基礎部分のコンクリートはところどころ極めて派手に 欠損し、中にある鉄骨が既に見えている箇所もある。
 だれがどう見ても取り壊し寸前、安全面から見ても法律の面から見ても、絶対に危険域を10ヤードほどオーバーしている。頼まれても中に入って行きたくないまさに絵に描いたようなオンボロ物件であった。
 しかし、今日は不運な客がどうしてもここを訪れなくてはならない用件を携えてやってきたのであった。

 ブロロロロ・・・・・・キィィ・・・・・・

[おんやぁ?]

 ここ何ヶ月かありえない展開、つまり葛城探偵事務所の前に車が止まるという事態に、ペンギンも驚いて瞑っていた瞳を薄く開いた。
 みると、道路には緑の車体に黒い猫のマークでおなじみの宅急便の配達車が停まっていた。

「葛城探偵事務所、か。ここで、いいんだよなぁ・・・・・・」

 就職難の時代、やっとありついた職が運送業であったことを早くも後悔したくなるような仕事を任され、日向マコト(独身、一人暮らし22歳)は決して暑さのせいではない汗をたらしてその手に持った小さな紙へと視線を下ろした。
 そこには、
前6右3前2右4、とまるで世界で初の家庭用ゲーム機専用のRPGソフトでつかいそうな指示が書いてある。
 紙から視線をさらに下ろすと、いわれていた通り、ぼろぼろのタイルの一つにかわいい丸字で「
すた〜と ち・て・ん♪」と油性マジックの走り書きがある。

 ゴクリ

 マコトはこれ以上ないというくらい慎重な足取りで、そのタイルの上に丁寧に降り立った。

「前、6・・・・・・右へ、3・・・前へ2・・右へ4・・・・」

 本人はとても真剣なのだが、両手でピンクの包装紙に黄色いリボンという乙女チックなプレゼントボックスを持ったまま、へっぴり腰で蟹歩きなどをしているその姿は哀れを通り越してとても滑稽である。
 指示通りに移動したあとは、一見すると罅や割れの少ない安全そうな床が建物の入り口までまっすぐ並んでいた。

「ふぅ」

 なんで、僕はこんな事をしているのだろう。こんな炎天下に。
 帰ったら辞表を出そうかなぁ、でも、他にまともな仕事見つからないしなぁ。
 などと彼が思っていたかどうかは謎である。

 

「すいませーん、クロネコ運送宅配サービスの者なのですが〜・・・・・・」

 マコトが事務所にはいってみると、中は意外と普通の内装で、一見すると喫茶店のようである。アンティーク調の室内から海に面した側にある大きなバルコニーまでは大きなガラス扉を開いているために吹き抜けになっていて、ちらほらと3〜4個の木製丸テーブルにイスが2対づつ設置されていて、入って左側には西部劇に出て来そうな感じの年季の入ったイスやカウンターと、結構な種類のコーヒー豆やお酒が並んでいる。

「あ、は〜い」

 店の右のほうにある階段の上から若い女の人の声が聞こえてきた事に、マコトはちょっと驚いた。荷物の宛名は「碇シンジ様」となっているのだ。
 明らかにこの建物の持ち主とは姓が違うので、てっきり建物自体がアパート的な役割も果たすような所だとばかり思っていたのだが、現場にきてそれはないと確信していたマコトは、紐か何かだろうか、と下世話な想像を働かせながら声の主が降りてくるのを待った。

 トタタタタ

 軽やかなステップで声の主が降りてくる。ちらりと見えたその姿はプロポーションのいい若い女性であった。

「わ〜、こりゃまたいまどき見ないような乙女チックな箱。誰からかな?」

 そういいながら近寄ってくる女性の姿に、マコトは目を奪われた。

その背中にまで伸び、光を反射して眩しいばかりの輝きを見せる艶やかな髪
健康的な小麦色の肌に、強い意志を感じさせる野性的な瞳
妖艶さを感じる黒を基調としたチャイナドレスの胸の膨らみは大きいが大きすぎるというでもなく
その中で、少しくすんだ色の銀のクロスがその存在を主張している
アクション映画の主演女優だと言われても納得してしまうようなエネルギッシュな空気を纏う長身

ー日向マコトの主観ー

 もろに、彼の好みの女性であった。呆けたような状態になった自分を見て猫のように首を傾げる仕草にカーッと赤面するのが自分でもわかる。

「え、えっと、こ、こちらにサインをか判子を押してもらえますか?」

 それでも自分の仕事をこなせたのは奇跡に近い。箱を渡すときに軽く触れ合った指にまたしても跳ねる心臓。ああ、彼女にこの胸の高鳴りが伝わってしまうんじゃないかしらん。
 そんなことになっているとは露としらずさらさらと用紙にサインを書く彼女の指に、控えめな宝石のついた婚約指輪が光っているのに気付けなかったのは彼にとって不幸であったのか幸運であったのか。

「まいどありがとうございました〜」
 やけに丁寧に挨拶して帰って行った宅配人は、まるでスキップを踏むように車に戻っていった。あの危険極まりないタイルを踊るように戻っていく姿を見て「うう〜む、クロネコ運送かぁ、なかなか侮れないわね」などと感心しつつ配達伝票の差出人を見ると、何故かそこには旧知の人物、赤木リツコの名前が書いてあった。

「なんでリツコが・・・」

 宛先の住所はここだが、宛名は碇シンジとなっている。
 あのリツコが、うちの助手に一体どんな贈り物を贈ってきたのだろうか。すこしばかり、いや、かなり気になる。

「開けてみようかなぁ〜。」
「うう〜ん、流石にそれはまずくないですか?」
「でも、アイツがシンちゃんに贈り物だなんて怪しいじゃない。もしかしたら危険物かも」
「にやけながら言っても説得力無いですよ」
「あははは、やっぱ分かるぅ〜?さっすがシンちゃ・・・・・・」

 ぎぎぎぎ、とウキウキと包装を解き始めていたミサトは、油の切れた機械のような緩慢な動作で首を動かし声のしたほうを見る。するとそこには苦々しい表情で眉間をおさえ首を振っている愛すべき同居人の姿があった。
 そして彼は悪魔のようなこと告げる。

「ミサトさん、今晩エビチュ抜きですね」
「ああ〜!そんなぁ〜〜!」

 自慢の胸を腕におしつけるようにしがみ付き、瞳をうるませて懇願しても彼は邪険に「包装解けないから離して下さい」と口を尖らせてそれを振り払うのであった。引き取った当初はこう言ったことをするとそれこそ蒸気を発するかと思うくらいに全身を羞恥で真っ赤にしていたのに、最近は扱いが慣れてきたようでどうにも不満である。

「でもでも、あのリツコが何の理由もなしに贈り物なんてすると思う?」
「少なくとも他人宛の贈り物を勝手に開けようとする人よりは常識的ですよ」

 必死の反論も躊躇なく切り崩されてしまう。しかし、言うほど怒っている様子でもなく、彼女が横から興味津々と言った様子で中身を見ようとするのは止めはしない。もしかしたら面倒なだけかもしれないが。
 箱の中身は、ヘルメットと何やら色々怪しげな計器のついたライダースーツ(?)であった。

「なんでこんなものを。」
「う〜ん、シンちゃんが免許取ったって言うから心配してくれたとか?」
「でもこのスーツ、やたら薄いですね。サイズだって随分大きいし。」

 と、シンジがヘルメットを脇に置いてスーツを取り出すと何やら一枚の紙がひらひらと床に落ちていった。

「ん?なんだろう。」

 ミサトがそれに気付いて拾い上げてみると、そこには可愛らしい、長靴をはいた猫がクラッカーを鳴らすイラストと、ただ一言、「HAPPY BIRTHDAY」とシンプルなゴシック体で書かれているだけであった。

「シンちゃん、今日誕生日だったっけ?」

 首をかしげながらミサトがシンジを見ると、彼は変わったデザインのスーツを体の前にあわせて見ている。確かに彼のいうようにサイズが明らかにおかしい。寸法自体は合っているが明らかにぶかぶかなのだ。採寸を間違えたとしか思えない。

「誕生日は六月ですよ。何を言ってるんですか?」

 憮然とした台詞を言うシンジにその紙を手渡す。カードを見たシンジも不審に思ったようで首をかしげながら頭をぽりぽり掻いている。

「ま、スーツはともかくそのヘルメットってもしかしたらリツコの会社の最新型なんじゃない?なんか見たことないタイプだし。」
「そうですね。なんか顔の部分をおおうバイザーも大きな瞳みたいですし。」

 彼らには知る由もなかったが、そのヘルメットは我々が知るものとよく似ていた。そう―――エヴァンゲリオンの顔のそれと。
 と、ふたりが和気藹々と贈り物についてあーだこーだ言っていると、つけっぱなしにしてある店内のラジオから、不吉なニュースが流れていることに気付く。 

「ん?いま、NERVがどうとかいってなかった?」
「しっ、ミサトさん静かに。」

「―――日深夜午前1時ごろ、第三新東京市にあるNERV開発センタービルに武装グループが襲撃し、当時泊り込みで作業にあたっていた研究員複数が暴行を受け、ビル内の研究データや、試作品複数が強奪された模様です。被害者は同市にすむ赤木ナオコさん56歳、赤木リツコさん30歳、高木こうすけさ・・・・」
「えええ!!」

 二人は飛び上がらんばかりに驚いた。噂をすれば影とは言うが、まさかこんな形でくるとは。

「み、み、ミサトさん、車くるま!」
「わかってる、いくわよシンちゃん!」

 あまりに急ぎすぎたため二人で抜けた床から海に落ちそうになったりしたのは余談である。

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