偽神


 妖魔夜行、百鬼夜翔の両シリーズにおいて、終末戦争を起こしたのは人の意識が生み出した「唯一神」という妖怪、神ではないいわば偽神である。
 作中において妖魔夜行のフィナーレ、終末戦争は「妖怪・唯一神」のなかに存在する、本来人々を見守る「やさしきかみ」へと送られているエネルギーを「やさしきかみ」を喚起するキー、つまり二人の人間によって収束させ、内部崩壊を引き起こすことで決着がついていた。
 「妖怪・唯一神」の崩壊によって発生し、世界に散った生命エネルギー(便宜上その最たるもの、何らかの要因で一箇所に凝縮したものを「冷たい光」と呼ぶ)によって以前より妖怪の発生が活発になった世界が百鬼夜翔だ。
 では、作中の世界には本当の意味で神と呼べる存在はいないのか?
 私はある、と結論する。
 「いる」ではなく「ある」なのは神と呼べる固体が存在するのではなく、絶対者としての「常識・信仰の集合体」が神に当たると考えるからだ。

 よくよく考えて欲しい、願いによって命を生み出し、世界に満ちるもの。すなわち生命エネルギーが願望投影機ならばそのありようを決めるモノこそ神ではないか。
 だが、この理論でいくと恐らく意思あるものの無意識によって構成される世界法則は意思あるものが生まれる以前は白紙だったことになる。それはどうなのか?という疑問が当然出てくるわけだが、それは当然なのだ。だってこの世界は両シリーズを生み出した製作者たち、「創造神」の作品なのだから。
 ま、ホワイトウルフ社の作品の世界観をぱくったわけじゃないよ。(ま、そのままですが;)
 「妖怪・世界法則」であって、神でないという人もいるかもしれないが、神とは「ありとあらゆるものに偏在し、全ての属性を兼ね備えるもの」であることには違いない。ある意味では世界そのものが「妖怪・世界法則」の見る夢だともいえるし、色々理屈をつけようと思えばいくらだってつけられる。だが、一つ確実にいえることは、この世界のどんな存在にも「妖怪・世界法則」という絶対者は倒せないということだ。
 逆に何かを倒すこともできない。自分で自分を倒そうとするようなものだし、そもそも固体としての意思が存在するかどうかすら妖しいのだから。
 最強にして最弱、矛盾の体現者である「世界法則」こそ、この世界の神と呼ぶにふさわしいであろう。

 

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